CROSS BALLPOINT

 ここに一本のボールペンがある。もう三十年以上も前に頂いたものである。米国CROSS社のボールペンで、今は消えて何も見えないが金字で当時超エクセレントカンパニーと呼ばれていた会社のロゴがあった。そこの就職試験を受けたのだが、当時の東工大電気系では日立、富士通、NTT、日本IBMなどは推薦枠があってよほど集中しない限りすんなりと決まっていた。いずれは寺を継げぇよ、とその年に往生した祖父に言われて東京に出た身としては、大手に行ったのでは面白くないと外資系を狙っていた、英語はできないというのは置いておいて。

 その米国本社の社長は、MIT出身でありながら牧師の資格も持つとパンフレットに書いてあり、何となく自分と重ね合わせて、入社試験に臨んだ。ペーパーテストは簡単なもので、面接も社長の考え方をインプットしていたので、スムーズに事は運んだ。がしかし、最後に「信じている宗教はありますか?」と問われた。一瞬間を空けた後、素直に「仏教、浄土真宗を信じています」、と答えた。そこで、何故ですか、という質問に実は実家が寺でして、と答える私に、ご長男ですか?と。はい、そうです、と答えたところで、以上で面接は終了です、お疲れ様でした、いう合図とともに部屋を出た。

 翌日朝早くに電話が鳴り、その人事部から今から社に来られますか?という連絡があった。本社に赴くと「弊社は業界の中で極めて低い離職率というのを宣伝しておりまして、それはご存じですよね」「はい、存じております」「お寺のご長男ということでいずれはお寺をお継ぎになるんですよね」「10年後かいつになるかは分かりませんが、継ぐことになるでしょうね」「うーん、それは困りますね。もし、継がないという誓約書を提出していただけるのであれば、いいのですが、そうできない場合はあなたの方から辞退していただけませんか」「わかりました。辞退します」

 「この業界は人の移り変わりが激しいですから、辞めるのを前提でも採用されるところはありますよ」と帰り際に渡されたのが、このボールペンです。その後、その会社をスピンオフした技術者が起こした外資系会社に就職しました。日本法人の社長は東工大の先輩で、北大卒の真宗寺院出身のSEもいるということだったのですが、社長は程なくして交代、SEの方も私の入社前にコンサルティング会社に転職されていました。

 しかし、個性的な先輩や同期に囲まれ、また、ちょうどUNIXの波が来ていたので、新製品の立ち上げに携わることができました。理不尽な仕様変更があったり、祭日に出勤すると「Hello!...」ていうアメリカ本社、ノースカロライナRTPからの電話にドギマギしたこともありましたが、中々面白い仕事をさせて頂きました。そんな会社も入社時がピークで衰退の一途をたどり、ヘッドハンティングの声がかかるようになりました。これから転職しては広島に戻れない、と思い四年弱の会社員生活を終えたのでした。入社程なくして、ある研究機関でインテル486のIBM-PCを触る機会があり、こりゃあうちの製品ラインナップからして、いずれは負けるな、と思いはしたもののこんなに急速に変わっていくとは思いもしませんでした。

 ちなみに、最初受けた会社も10年持たずして他社に買収されました。

 そんな思い出のあるボールペンを昨年の父の満中陰の茶の子にしました。でも、ブラックは2本しか手に入らなかったのでシルバーです。

 父もNHKを退局して広島に戻ってくるには、いろいろと逡巡したことだと思います。私も口のたつ弟の方が僧侶に向いているのではないか、と今でも思いますが、弁護士として活躍?しているので、まあそれはそれでいいかな。父は弁護士のことを三百代言と嫌っていましたが、私も嫌いになりました。

 今回、記事を削除したことにお気づきの方もあられるかと思いますが、背景にはある送られてきた郵便があります。しかし、弟から登記簿が簡単に取れることを教えてもらい、取り寄せたところ裏も取れました。また、友人の情報網からいろいろな情報も教えてもらいました。

 原爆で崩壊した寺ではありますが、ご門徒のご懇念により復興した寺です。京都のような風情は当然ありませんが、脈々と続いてきた念仏の声を途絶えさすことはできません。父も私も異業界から転じたわけですが、お寺に育てられたそのことだけは忘れずに今後も変わらぬ法(おみのり)を伝えていきます。

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投稿者プロフィール

飯田 通
飯田 通住職
光圓寺第20世住職。
小学校、公民館での出前理科授業を行っています。
今は、Scratchを利用したプログラミング教室も担当しています。