今回の安芸教区総講習会では多摩美大の中沢新一教授が講演された。先生の著は何冊か持っているし、教区が外部の人を連れてくるとは珍しいな、と思いお話を聞いてきた。
最初はGift(贈与)という考え方の披露であった。現在、ほぼ我々の社会を形成している経済至上主義の考え方は、「等価交換」である。それは、ものごとの価値に基準を設け、お金という尺度で物々交換する。これに対して心は等価交換できない。プレゼントはそれをもらうとともにその気持ちも頂く。ありがとうという思いとともに何かお返ししていこうというという心が生じる。また、農業ということで考えれば、一粒のお米から数百、千粒のお米ができる。これは、1が1000になる。それは水とか太陽、土壌といったものに恵まれ、私たちに与えてくれるのである。
宗教の原型というものは、「何ものかが我々に惜しみなく何ものかを贈りつけている」という贈与の考え方から生じていると考えることができる。われわれに当てはまれば、おかげよのう、ということだろう。
チベットでは、仏教文化を若い世代に伝えていくということが最も重要視される。また、殺生を嫌い有情のいのちの平等観を大切にする。あの牛は有情としてかつてお前の母親であったかもしれない、と考える。そして、生きていくときの障害が起こるのは、知らないうちにGiftをいただいているのに、そのお返しをしていない。それではただ単に奪っただけであるから。
そこで、チュウ(カットするという意味だそうだ)という儀式をする。自分の体を生物に与えるという瞑想をしていくことにより、自分の体を刻み、自己愛をカットしていくことになる。そして、包まれている存在のありがたさを瞑想していく。
先生の話を聞いて、比較していく中でなるほどな、と思うことがある。命のつながりのなかで、何か大きなものに包まれ、照らされているということ。これは村上和雄先生のサムシング・グレートにも通じる。生きているのではなく、なにものかに生かされているという気づき。自己が傲慢になっては気付かない。また、等価交換で考えることばかりをしていると感覚が麻痺して、大切なものを見失ってしまう・・・
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