春季永代経法座のことを書こうと思っていたら、こんなに日が経ってしまいました。まこと会便り7月号に坊守の覚え書きがございますので、そちらをご覧下さい。
さて、これも少し時間の経った話ですが、7月4日に仏教婦人会のまこと会夏法座を開きました。講師は私、住職です。
毎回、数ヶ月前から話の内容についてノートに書き出すのですが、今回はなかなか思うような話を思いつかなくて、当日を迎えました。ただ、その日の夢に「あそぼうっていうと あそぼうっていう・・・」というACで何度となく耳にした金子みすゞさんの詩が出てきました。私はよく考え事をしていると、何気ないときにアイデアが浮かんだりするのですが、まさしく今回もそうでした。それで、親鸞聖人の和讃と金子みすゞさんの詩をテーマに話を構成しました(つもりです)。
親鸞聖人の和讃に触れると、時間軸、空間軸の広がりを意識します。私たち人間の枠を取っ払ってダイナミックに阿弥陀さまの働きがクローズアップされます。
願力無窮にましませば、罪業深重もおもからず
仏智無辺にましませば、散乱放逸もすてられず
一方、金子みすゞさんの詩は一般とは視点が異なり、どこか自分を客観視した広がりを感じます。自分の枠を超えて俯瞰的に観察する視点があります。ただ、引っかかるのはその金子さんが自死したという事実。いのちの大切さをよく理解されていたにも関わらず、そうなってしまった現実。こうすればこうなるという単純化がなされないところに人間の苦悩の深さがあります。一つには社会環境も重要なファクターであろうかとは思いますが、救いとは何だろうか、と突きつけられている感じがします。
先日珍しく中日にカープが三連勝した際に、プロ入り13年目にして初本塁打を打った井生選手のコメントに
”腐らないため、「自分を客観的に見る、もう一人の自分」をイメージし続けて練習に打ち込んだ。”
とありました。日の目を見ないかも知れないけど、自分のことでいっぱいいっぱいになるのではなく、客観視していくことは大切なことだなと感じました。今の自分で大丈夫という自信が持てるように。
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