7月28日付けの中国新聞に標記の署名記事がありました。
正直に言うと、この筆者の利他ということばの捉え方の中には「これをしてあげたら相手にとって利になるだろう」という、「私の思い」が存分に含まれています。そこにコミュニケーションが大切だと散りばめてこられるのですが、利他にとって大切なのは双方向ではなく、「聞く」ということに尽きると思います。そもそもの導入部分のくだりで、「出張先の大阪市はコロナの陽性者が多い。猛暑の中マスクを二重に着けた。これも利他的な行動だろう」というのには唖然としました。最後の展開はもっと飛躍しすぎており、何故利他という言葉を持ち出したのか甚だ疑問です。
私たちの世界では、「自利」「利他」ですが、世間的には「利己」「利他」であるようです。どうしても、「私」と「他者」と捉えがちです。しかし、利他というときの「他」は人間に限られるべきではない、ということです。(写真の「利他」とは何か で、東工大で今一番人気の伊藤亜紗先生も書かれています)自己犠牲によって他者を利するというような自己満足的な考え方では、どうしても自分の思いが強く理解が深まることができません。
母校、東工大で「利他」に関する研究が進められていることは意外です。しかし、生命理工学部(今は生命理工学院)を作った辺りから変わってきました。自分のときは、君たちは数学しかできないからとにかく本を読め、と最初から言われました。とりあえず大藪春彦の文庫本は全部読みましたが・・・
科学に限らず、ものごとを観察するということは重要です。それによって、微妙な変化や異常を感じとることができます。観察はもともとは仏教用語です。それは私の思いを挟まず客観的に注意深く、ものごとをありのままに見極めて知ることです。そういう意味では、今の報道機関に欠けているものは、観察力ではないかと思います。
お盆の時期になると毎年毎年新人記者が灯ろうについて同じこと聞きに来るので、前住職が「下調べもせずに毎回毎回同じことを聞きに来るな」と叱り飛ばしたら、翌年以降しっかりと申し伝えがあったようで、うちの本堂の写真が借景に使われるようになりました。
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