青空の梅干しに~

4月8日はお釈迦様の誕生日、花まつりです。光圓寺の所属する広真会(旧市内の浄土真宗本願寺派の寺院からなる)では、この季節に講演会、パレード、灌仏(かんぶつ)を広島市内で行っています。その中で4月5日に開催された中島岳志さんの講演会のことを書かせていただきます。

中島岳志さんといって思い出すのは、報道ステーションで古舘さんの横でコメントされている姿です。あの時は、北海道大学の准教授で専門は政治学だったと記憶しているのですが、今回は「となりの親鸞」と題して講演されました。

なぜ政治学者が親鸞聖人のことを話されるのか、ということから話は始まります。今は合理的な考えが主流で、宗教とかいったものは非科学的と疎んじられているが、果たしてそうだろうか?たかだか2、300年の間に浸透した考え方よりも、綿々と息づいている昔からの受け継いできた考え方の方が大切なんじゃないだろうか、と切り出されます。先生は大学生の時に、阪神淡路大震災に遭われたそうです。その時、TVの片隅で何かを必死で探しているおばさんが目に留まったそうです。インタビューアが「何を探しているんですか?」と尋ねると位牌を探してるんだ、と答えられたそうです。えっ位牌、仏壇??って思われたそうで、同時に財布を握りしめて避難した自分が少し恥かしくなり、人にとって大切なものって何なんだろうか、と考えられました。また、別の日公園で凧をあげているおじさんに遭遇し、不思議に思った先生は勇気を出して、なんで凧をあげているのか訊いたところ、「嫁はんを震災で亡くしてな。でも、こうやって凧をあげとるとなんか嫁はんとつながってるような気になるんや」と答えられたそうです。

震災の年には、もう一つ大きな出来事が起こります。地下鉄サリン事件です。その事件の後、吉本隆明さんの講演を聞き、最後にご自身の質問が取りあげられ、この回答に衝撃を受け、吉本さんの著書を読み進めていくうちに、親鸞聖人のことを知りたいと思うようになったそうです。

先生には小さなお子様がいらっしゃり、生後間もない大晦日の日、高熱を出してぐたっとしている我が子を救急病院に連れて行かれました。普通であれば、即入院ということでしたが、ベッドの空きがなく自宅で看護ということになりました。正月3が日夫婦で看護するも症状はよくならず、途方に暮れていた1月4日、熱が少し引き、ミルクも少しずつ飲むようになり安心されました。部屋の換気のために、窓を開けた瞬間、何故か鼻歌を口ずさんでいた、これが表題の元祖天才バカボンの歌です。それと同時に、涙がどぉーっと止めどなく流れ出たそうです。その時の感情は、安堵もあったのでしょうが、我が力の無力さを知らされたということです。

親鸞聖人は物知り顔の人には厳しいが、よく分からないという人々には優しい。そこには、無力さを知っている人たちが他力によって救われていくことを自然と受け容れていくことができるのではないか?また、死者との関わりということが大切になってくるのではないか、と話されます。教行信証に法然聖人の引用が少ないことを取りあげ、ひょっとしたら、親鸞聖人は教行信証を法然聖人と一緒に書き上げたのではないだろうか、と話されます。(この辺りはいろいろ意見が出てくることと思いますが)

ただ、この世の生だけが全てではない、過去から受け継いできたものを大切にしていかなくてはならない。人間何でも出来ると傲慢になれば、いろいろと争いも生じてくるし、弱者のことを気遣おうともしない。そこで、死者との対話(たぶん内省)が必要となってくるのではないでしょうか。自分の無力さを知り、そこに阿弥陀さまの他力のはたらきが届いている、と感じること。何気なしに先人が歩んできた道を訪ねるのが大切なんではないでしょうか。

以上、私が聞いた内容のあらすじですが、時が経っているので最後の方はちょっと違うかも知れません。先生は現在、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授です。楽屋で「30年前大岡山(東工大のあるところ)に通ってました」と話すと、「私のところにも学生(寺の息子)がどちらの道に進むのが良いのでしょうか?と相談に来るんですよ」と答えられました。吉本隆明さんも東工大の出身です。科学と宗教って根本をたどれば真理の追究です。意外と通じるところもある、と卒業して三十数年経って思います。宗教離れということは、分からないことを避けようとする、本当は考えていかなければならない側面もあるのではないでしょうか?

KOUENJI,Hiroshima,Japan